創立80周年

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(高津高校同窓会報創刊号 平成9年2月10日発行より抜粋)

『 時代を越えて 』
同窓会会長 松山恒太(中学18期)

 母校、高津高等学校が創立八十周年を迎えるのは平成十年である。現存の二万六千名の卒業生の皆さんには、創立八十周年を迎える印象は一人一人異なり、二万六千通りのものがあるに違いない。

 本年発行の「群芳・九十六」の「特集 高津の伝統を築いた人々」の文章の通り、恩師の先生方について、学友または運動部の活躍に ついて、当時の社会環境についての思い出と色とりどりである。 時代も価値観も大きな変化があった。大正デモクラシーの残骸から一死奉公の戦時中、占領軍に与えられた自由放任の混乱時代が「もはや戦後ではない」と経済白書が唱えた後も社会では依然動揺を繰り返して今日に至っている。

 初代三澤校長が第一回卒業式で訓示された「自由と創造」の立派な校是も昭和になると、教師、生徒の間から消え、二代目校長羽生校長は、「日新日進」の中国の古典からの校是を我々在校生に示された。昭和十年入学、十五年卒業の私の記憶である。
自由の文字は、当時の教育界では禁句であったのではなかろうか。時代の然らしむ所で是非の話ではない、これも高津が辿ってきた歴史の一齣である。

 平成三年に竣工した校舎も三代目か四代目である。当初の木造は昭和九年の関西大風水害で倒壊、コンクリート造りの二代目も役を終え、現在のものとなった。しかし、創立から今後も学校は同じ場所にある。全卒業生には、同じ校庭を追憶の基盤としている筈であり、その一隅に四十五周年念 事業として先輩の努力の結晶の同窓会館がある。これを増改築して在校生の教育に質したいと、母校八十周年記念行事の中心に据えようと、九十六年総会で決め た。

 取組み方に誤りなき限り、その活動を通じて、老、壮、青年の壁を越えた高津への思いを掘り起こし,延いては同窓会の一層の活性化 につながる事は間違いない。近隣の天王寺、八尾、今宮、夕陽丘がやり遂げた周年行事を我が同窓会が中心となってインターハイへの参加と考え、高津を次の勝 利者としようではありませんか。同窓生諸君の協力支援をお願いします。

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『 多士済済と群芳 』
校長 南 嘉浩

 「済済多子文王以寧、済済(せいせい)たる多子、文王以って寧(やす)し」と五経の一つ,詩経にあります。文王は、紀元前十二世紀頃(日本では縄 文晩期頃)、中国周王朝を創建した王で、周の初代君主武王は、文王の子です。文王は典型的な聖人君主とされていますが、これによりますと多くの優秀な臣民 がいたものと窺測する事ができます。

 私達がよく使います「多士済済」という言葉はここから出ており、ご承知のとおり優秀な人が多くいるさまの表現に用いられています。大正七年に、大阪府立第十一中学校として創立した本校 は、すでに二万六千五百余人の卒業生を世に輩出していますが、その方々は正に、多士済済です。昭和四年に、大阪府立高津中学校同窓会誌「 群芳 」が発刊されました。「群芳」の出典を校内に保存されております古い文書で検索しましたが定かではありません。ただ、「芳」には、優れた人という意味もあり、広辞苑の「群芳(ぐんぽう)」の項には、多くの賢者のたとえとあります。さすれば「多士済済」と同義語、命名者の慎思さに感服する次第です。

 初代三澤校長が提言された「自由と創造」二代目羽生校長の教育の理念「日新日進」(出典の大学によると日新日新という表現になりますが)を校是として、教育活動を展開し、美辞ではなく実際に国の内外に多くの有為な人材を送り出してきました皆様の母校「高津」は、平成十年に創立八十周年を迎えます。人生でいうと傘寿という誠にめでたい賀寿祝いの年にあたります。さらに、今世紀最後の大きな節目になる周年にもなります。そこでこれを機に、同窓会 は、PTA高風クラブ (PTAのOB会)及び学校と一体となって、高津教育の二十一世紀への橋渡しとなる記念事業を起こしてくださる事になりました。総事業費が一億円近くになるという大きな事業です。卒 業生の皆様にはご負担をおかけする事になりますが、二十一世紀の社会を支える後輩、高津生のため、深いご理解を賜り、事業達成のためご支援をいただきます ようお願い致します。

 国際化、高度の情報化、国内産業の空洞化、高齢化等が進む変化のきわめて激しい時期でありますが、卒業生の皆様のご活躍とご自愛の程をお祈り申し上げております。

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『 絆そして絆 』
同窓会副会長・80周年記念事業募金委員長 永原義夫 (中学26期・高校1期)

 平成十年の春に高津は八十歳を迎える。傘寿として誠にめでたいことであります。
糾える縄のごとく、人の生涯とよく似ております。創立八十周年記念事業を計画し、母校に祝杯をあげ、未来に乾杯しようということであります。昨年(平成八年)の夏に総会で決議され同窓会の大きな仕事になりました。

群れ咲きて 誇らしげなる 山つゝじ

 二万六千人の人材を世に出し、母校は曲折の多い八十周年の歴史を辿ってきました。同窓の絆を改めて考えてみたいものです。

 平成十年といえば新世紀まで二年となります。政治、経済、教育あらゆる面で、世直しとしての地殻変動があり、構造改革は避けられ ません。日本社会は新たなメカニズムを求めて走り始めようとしております。閉塞感があり、不透明な「ゆらぎの世紀末」として人々は混迷の日々を送ることに なるでしょう。しかしそれは新しい二十一世紀へ向かうエネルギーの淀みであり、壮大な転換点として人々の知恵に期待し、新世紀への可能性を想定して祈るべきでしょう。
この大世紀末に八十周年を迎える高津の歴史は誠にドラマチックであります。

 奇跡的な発展を遂げ成長し成熟化した我が国も、経済効果偏重に手づまりを感じ「モノノ時代」から「ココロの時代」に可能性を求め、新しい道筋を探索しようとしているのです。「新世紀の作法」を発見するためにこの「癒しの時代」を学習しようとしているのです。

 高津には足し算でものを考える「日々新たに また日に新たなり」という創造性を誘発する思想があります。
創立八十周年記念事業を成功させるための起爆剤は基金であります。同窓の志を信頼し、個々人のダイナミズムに刺激をうけ、私も役目柄、精一杯やってみるしか道はありません。先輩諸氏、後輩諸君、高津の絆を愛していただきよろしくお願いいたします。

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